帰り続けるだけは寄り道

映画やミステリー小説の感想などをたまにつらつらと。 過去の記事はマイカテゴリの「INDEX」に作品別、作家別でまとめています。 いただいたコメント、トラックバックは確認後の表示になります。

後味の悪い結末

『悪の法則』あのDVDは観たくない!

thecounselor-1若くてハンサムな敏腕弁護士“カウンセラー”。美しい恋人ローラとの結婚を決意した彼は、ふとした出来心から闇のビジネスに手を出してしまう。派手な暮らしをする実業家のライナーから裏社会を渡り歩く仲買人ウェストリーを紹介され、メキシコの麻薬カルテルとの大きな取引に一枚噛むことに。ウェストリーからは危険な相手だと脅されたものの、自分は大丈夫とタカを括っていたカウンセラーだったが…。

 

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原題:The Counselor

製作国:アメリカ

初公開年月:2013年11月

監督:リドリー・スコット

製作:リドリー・スコット、ニック・ウェクスラー、スティーヴ・シュワルツ、ポーラ・メイ・シュワルツ

製作総指揮:コーマック・マッカーシー、マーク・ハッファム、マイケル・シェイファー、マイケル・コスティガン

脚本:コーマック・マッカーシー

撮影:ダリウス・ウォルスキー

プロダクションデザイン:アーサー・マックス

衣装デザイン:ジャンティ・イェーツ

編集:ピエトロ・スカリア

音楽:ダニエル・ペンバートン

出演:マイケル・ファスベンダー(カウンセラー)、ペネロペ・クルス(ローラ)、キャメロン・ディアス(マルキナ)、ハビエル・バルデム(ライナー)、ブラッド・ピット(ウェストリー)

 

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「ノーカントリー」「ザ・ロード」の原作者でもあり、本作で初の映画脚本に挑戦したピュリッツアー賞作家コーマック・マッカーシーと巨匠リドリー・スコット監督の夢のコラボで贈るクライム・サスペンス。

自らの才能を過信するやり手弁護士が、やがて麻薬取引を巡る危険な罠に呑み込まれていくさまを豪華キャストの競演で描き出す。

 

★予告★

 

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豪華キャストでロマンチック・クライム・サスペンス風の予告ですが、監督はリドリー・スコットだし、脚本はコーマック・マッカーシー。そんなに取っ付き易い映画になるはずもなく。わたしが観に行ったときは席は8割ほど埋まっていましたが、エンドロールが流れた途端に席を立つ人多数。つまらなかったというか若干ムカついてるようでもありました。わたしはすごく面白かったんですけども。。

 

 

いちいち状況や背景を説明してくれる親切な作りでは無いので、一見わかりにくいように思える映画ですが、大筋のストーリーは難しくないと思います。

主人公の弁護士(カウンセラー)が愛する女性にプロポーズするためにダイヤの指輪を購入し、そんなわけでお金も欲しいしコネもあるしで闇社会のビジネスに手を出したところ、麻薬カルテルから麻薬強奪の疑いをかけられて命を狙われ、主人公に関わった人間が殺される、という話。

麻薬カルテルとカウンセラーのバトルは無く、麻薬強奪の真犯人は吊し上げられることも無いので、雰囲気で観ていると何が何やらわからなくなるのかな。

 

悪いことするビジネスに加わることに決めたときから、いくら表の社会的立場がまともでも、その世界で雑魚ならば雑魚として扱われる。

「だって本当に麻薬強奪なんて知らないのに!」って言ったって、映画でも主人公とその仲間は助かってチョイ役がコロッと殺されるなんて良くあることで、観客は「可哀想だけど悪いことしてたから殺される役なんだな」と思う。この映画ではロクに抵抗も出来ずに殺される役割が豪華キャスト。殺しも死体も、底辺メキシコ人のブラックジョークのネタのひとつとして扱われる。その程度の価値。

 自分を甘く見積もりがちな人が痛い目に遭うのだから、溜飲が下がるとも言える。

 

 

豪華キャストの面々は全員良かったです。特にキャメロン・ディアスの凶悪さは良かった。こういう完全な悪役も良いですね。

 

thecounselor-2

 チーター柄のタトゥー怖い


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 ハビエル・バルデムの髪型は今回もちょっと変

 

もう一回観たい。おもしろかった。

Hola!

『ムード・インディゴ うたかたの日々』 救いも希望も無い恐怖を体験

moodindigoお金に不自由せず、働かずとも優雅に暮らす気ままでナイーヴな資産家コラン。ある日、無垢な魂を持つ美女クロエと出会い、一目で恋に落ちる。そのまま愛を育み結婚した2人。ところが、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。ある日突然、クロエは肺に睡蓮の花が咲く奇病に冒されてしまったのだ。コランはクロエを救うべく奔走するが、高額な治療費のために彼の財産は底をついてしまう。そこで人生で初めて働き始めたコランだったが…。

 

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原題:L'ecume des jours

製作国:フランス

初公開年月:2013年10月

監督:ミシェル・ゴンドリー

製作:リュック・ボッシ

製作総指揮:グザヴィエ・カスターノ

原作:ボリス・ヴィアン 『うたかたの日々』/『日々の泡』

脚本:ミシェル・ゴンドリー、リュック・ボッシ

撮影:クリストフ・ボーカルヌ

美術:ステファヌ・ローザンボーム

衣装:フロランス・フォンテーヌ

編集:マリー=シャルロット・モロー

音楽:エティエンヌ・シャリー

出演:ロマン・デュリス(コラン)、オドレイ・トトゥ(クロエ)、ガド・エルマレ(シック)、オマール・シー(ニコラ)

 

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ボリス・ヴィアンの名作『うたかたの日々』を、原作の独創的な世界観そのままにイマジネーションあふれるヴィジュアルで映画化した切なくも美しい恋愛ファンタジー。

監督は「エターナル・サンシャイン」のミシェル・ゴンドリー。主演は「真夜中のピアニスト」「タイピスト!」のロマン・デュリスと「アメリ」のオドレイ・トトゥ。

 

★予告★

 

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「エターナル・サンシャイン」は嫌いじゃないけどそれほどピンと来ず、「アメリ」はまったくピンと来ず、「タイピスト!」はソソられず、「ムード・インディゴ」のファンタジックでロマンチックな予告にはむしろ拒否反応を覚えたものの、ちょうど時間が合ったから観ることに。

 

 

予想通り、ちょい不穏な雰囲気を忍ばせた“作られたかわいい世界観”に全然ノれない。

楽しいでしょ?お茶目でしょ?な、無駄さがむしろ気が利いてるよね的な奇妙なガジェットの数々と人間関係。

まったく笑えないギャグ。

あざとく鼻に付いてしまう。

 

主人公コランは働かずともお金持ち。友人はなぜか食事から運転から身の回りの世話をしてくれるリア充弁護士の黒人ニコラと、施しを与えることが出来るユダヤ系の困った奴シック。

ニコラの恋人は白人金髪美女。シックの恋人はニコラの親戚の黒人。

ニコラとシックに恋人がいることを知ったコランは自分も恋をしたい!恋をしたーーーい!!と望む。

出来る男ニコラが気を利かせてパーティを開き、ニコラの恋人の友人であるクロエに一目惚れ。

こういう人達に訪れたファンタジックな不幸にどうやって共感できますか。

でも映画として達者に作られているから飽きること無くぬるく眺めることは出来ます。

バカにしながら観るなんて自分の時間がもったいないので、普通に楽しく鑑賞します。

 

と。クロエの病が回復する兆し無く、コランの財政も底を付き、画面の色調も変わり、わたしは当然ハッピーエンドだろうと思い込んで次の展開を待ちつつ観ていると、クロエは死んだ。コランは嘆き、終わり。

 

びっくりした。終わってしまったのだ。

命の終わりはあっけなく、増やさない資産はあっけなく消える。

映画の終わりと人の命の終わりと経済の終わりと人間関係の終わりの感覚が同時に入り込んできた。

登場人物たちに共感せず、物語に同情せず、世界観に好意を抱かず、最後まで距離を感じながら、エンドロールで不意に泣くという経験は初めてだった。

取り返しのつかなさ、二度とやり直せないという事実、失うことに救いを与えない演出。

「うたかた」にセンチメンタルを持ち込まない、虚しさをリアルに体験させられる恐怖を味わった。

 

 

自分がこの作品を好きなのか嫌いなのかわからない。

感動はしなかった。むしろ傷付けられたような気持ちになった。

ミシェル・ゴンドリー作品の見方というものがあるのだろうか?とりあえず「エターナル・サンシャイン」を見返してみよう。

『クロニクル』 もし超能力を手に入れたとしたら

chronicleいつも持ち歩いている中古のビデオカメラだけが心の友という孤独な高校生アンドリュー。ある日パーティ会場で居場所を見つけられない彼は、見かねたいとこの同級生マットとその親友スティーブに誘われ、近くの洞窟探検に向かう。そこで不思議な物体に触れた3人は、知らぬ間に念じるだけで物を動かせる超能力を身につけていた。最初はその力を他愛もないイタズラに使って満足していた3人だったが…。

 

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原題:Chronicle

製作国:アメリカ

初公開年月:2013年9月

監督:ジョシュ・トランク

製作:ジョン・デイヴィス、アダム・シュローダー

製作総指揮:ジェームズ・ドッドソン

原案:マックス・ランディス、ジョシュ・トランク

脚本:マックス・ランディス

撮影:マシュー・ジェンセン

プロダクションデザイン:スティーヴン・アルトマン

編集:エリオット・グリーンバーグ

音楽監修:アンドレア・フォン・フォースター

出演:デイン・デハーン(アンドリュー)、アレックス・ラッセル(マット)、マイケル・B・ジョーダン(スティーブ)、マイケル・ケリー(リチャード・デトマー)、アシュリー・ヒンショウ(ケイシー)

 

新人監督による低予算映画にもかかわらず、予測不能の展開と思春期の若者のリアルな心理描写が評判を呼び、全米初登場1位のサプライズ・ヒットを記録してセンセーションを巻き起こしたSF青春サスペンス・アクション。

 

★予告★

 

 

2012年2月にアメリカ公開されましたが、日本では今ごろ2週間限定で劇場公開されることになりました。

アメリカやイギリスでは既にブルーレイも発売されていて、イギリス版には日本語字幕&吹替も入っていて、日本でも近々ソフト販売が予定されているらしい。だからか、劇場料金は1000円均一。公開館数も少し。

 

ということで日本未公開になりかかったと思われる作品ですが、いやいや面白かったです。

手に入れた超能力で色々試すエピソードも笑えるし微笑ましいし、後半の超能力バトルも面白かったし、テンポいいし、お話はなんとも切ないし。

1000円だし83分だし、早く観るといいですよ!

 

超能力を身に付けてあれこれ出来るようになった3人が楽しそうで楽しそうで。

孤独ないじめられっ子のアンドリューは不穏な存在なんだけど、マットとスティーブがすごくイイ奴で、この2人とだったらアンドリューも楽しい青春が送れるように思えてね。。

 

でもスティーブの家が思いのほか金持ちっぽくてちょっと嫌な予感がしてきたり、アンドリューのお母さんの具合は全く良くなる気がしないし、お父さんと分かり合える雰囲気も無い。そんな、超能力を手に入れたからってそうなんでも上手くはいくはずがない感じを、ちょっとずつ自然に入れてくる。

だもんだから、アンドリューだって陰気臭いけどお母さん想いで悪い子じゃないし、ハッピーエンドを期待してしまうんだけど、期待しつつも、こんな能力を手に入れてしまったら普通はただで済むわけが無い、とも思うわけで、物語が悪い方へ流れ出すともう心底「やめてあげて!!」「この子達をしあわせにしてあげて!!」と願わずにいられない。

 

 

大友克洋の「AKIRA」を引き合いに出す人が多いようですが、わたしは「キャリー」と「デビルスピーク」を思い出したなあ。この印象の違いは年代の差ですかね。「AKIRA」もリアルタイムでしたけど。

 

 

主役のアンドリュー演じるデイン・デハーンは「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」「欲望のバージニア」でとても印象深かったんだけど、本作が切っ掛けでブレイクしたらしいです。なるほろ。気の毒な運命を背負った少年の役がハマります。あの暗い眼に今後も期待。

 

 

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『凶悪』 ぶっ込んじゃいますか^^

kyouaku-1ある日、スクープ雑誌『明潮24』に死刑囚の須藤純次から手紙が届く。それは、判決を受けた事件の他に、彼が関わった誰も知らない3つの殺人事件について告白するものだった。須藤曰く、彼が“先生”と呼ぶ首謀者の男が娑婆でのうのうと生きていることが許せず、雑誌で取り上げて追い詰めてほしいというのだった。最初は半信半疑だった記者の藤井修一。しかし取材を進めていく中で、次第に須藤の告発は本物に違いないとの確信が深まっていく藤井だったが…。

 

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製作国:日本

初公開年月:2013年9月

監督:白石和彌

原作:新潮45編集部『凶悪―ある死刑囚の告白―』(新潮文庫刊)

脚本:高橋泉、白石和彌

撮影:今井孝博

美術:今村力

衣裳:小里幸子

編集:加藤ひとみ

キャスティング:田端利江

助監督:茂木克仁

出演:山田孝之(藤井修一)、ピエール瀧(須藤純次)、リリー・フランキー(木村孝雄)、池脇千鶴(藤井洋子)、白川和子(牛場百合枝)、吉村実子(藤井和子)、小林且弥(五十嵐邦之)、斉藤悠(日野佳政)、米村亮太朗(佐々木賢一)、松岡依都美(遠藤静江)、ジジ・ぶぅ(牛場悟)、村岡希美(芝川理恵)、外波山文明(森田幸司)、廣末哲万(牛場利明 )、九十九一(福森孝)、原扶貴子(牛場恵美子)

 

死刑囚の告発をもとに、警察さえ把握していない殺人事件を掘り起こし、司直の手を逃れていた首謀者を追い詰めていった新潮45編集部の取材記録を綴ったベストセラー・ノンフィクション『凶悪 ある死刑囚の告発』を基に、事件を追う一人の雑誌記者の執念と驚愕の真相を描くクライム・サスペンス。監督は「ロストパラダイス・イン・トーキョー」の白石和彌。

 

★予告★

 

 

今年の邦画では一番気になっていた。

個人的な期待ポイントとしては、

・実際にあった凶悪犯罪をベースにしている

・ピエール瀧とリリー・フランキーが犯人役

・しかも主役の記者は山田孝之

・監督は本作が長編二作目で、一作目は観てないけどヒットした記憶も無く、仕上がりの予想が出来ない

・結構エグそう

・でも主役は山田孝之

など。

白石和彌監督は若松孝二の弟子か何からしい。CMやゲームやアニメや舞台やテレビ出身だったり芸能人だったり芸術家だったりしないところも興味をソソられる。映画監督に師事していた監督を新鮮に感じるというも不思議な話だ。

 

 

んで観ました。

 

愚かな被害者と狂った犯人と平凡な家族の誰にも擦り寄ること無く、また観客にも迎合せず、日本の土地問題、老人問題のダークサイドを描いた問題作だと思う。てかキツイっす。

 

予想以上に昭和の映画な趣で驚いた。昭和って括りが大きすぎるような気がするのでもう少し狭めと、なんというか全体に漂う生々しい雰囲気が日活というか70年代というか。

ほぼ無名な監督による、ここまでオシャレ感の無い陰鬱な作品が今の時代に全国公開されたことに驚く。園子温だって石井隆だってもっと洒落てる。

 

 

ピエール瀧演じる死刑囚・須藤をもっと同情の余地があるように作れたと思うんだけど、そうはいかない。

劇中、須藤の情婦が「純ちゃん(須藤)は意外と情があるっていうか、憎めないのよ」と言っているが、身内且つ自分も同じ世界で生きていればそんな感情も抱く可能性はあるが、いやいや。簡単に人を殺し過ぎ。どうしたって共感出来ないもの。

完全なフィクションだったら、犯罪の世界に堕ちる過程や、可愛げのある人物として描いたり、最後に救いを残すことも出来るが、本作は犯人側に立つことを拒否している。

kyouaku-2

死体を解体して焼却中。一仕事終え、炎で照らされてほっこりにこやかな二人。

 

ところでピエール瀧の裸体も怖い。容姿は色気があって色男と言えなくもないが、特に座って斜め後ろからのアングルの裸体が怖い。

服装も下品で素晴らしい。

もし自分がこの映画の関係者で、撮影のときにピエール瀧があの衣装で現れたら、笑わない自信が無い。絶対にテンションあがる。ピエール瀧がオールバックに髪を撫で付けて、金のチェーンネックレス付けて、悪趣味な大きな柄のゆったりニットを着て、凄んだり殴ったり蹴ったり(本当に当ててる)殺して解体して、死体を入れた氷風呂の横でシャワー浴びるのだから、これはある意味大サービス。

なんだけど、犠牲者が借金まみれの飲んだくれで、家族にも見放された迷惑な年寄りだったりすると、キツくてどうにもこうにも笑えない。

みすぼらしい老人が殴る蹴るの虐待を受けながら、無理矢理お酒を飲まされて吐いても飲まされて、死にたくないと命乞いしながら死ぬまで飲まされ続ける。

やってるのがピエール瀧とリリー・フランキーで、やられてるのがWAHAHA本舗のジジ・ぶぅ(56歳)だとわかっていてもキツイ。

 

かと言って犯罪を糾弾して物語を終えることをしない。

「生きて罪を償いたい」「牧師さんの勧めでキリスト教に入信した」という須藤に対して、時には心を通わせた瞬間もあるものの、でもこの極悪非道な犯罪者の心が癒され救われるのはおかしいと憤る藤井の叫びに共感しつつも、藤井が事件にのめり込んで行く中、認知症の藤井の母の面倒を押し付けられている妻(池脇千鶴)から、事件を追っているとき楽しかったんでしょ、自分も(藤井の記事を読んで)こんな人達がいるんだ、こんなひどいことがあるんだっておもしろかった、と言われ、収監された木村に面会し、自分(木村)を一番殺したいのは須藤でも被害者でも無くて…(あんただよ)、と指をさされると、観客は観客でありながらも居心地が悪く、安心して座れる椅子はどこかと白々しく探すハメになる。

 

 

この映画の中では暴力のむごさ、暴力と共存している世界の汚さをまざまざと見せつけられ、犯人達に対する同情心は生まれない。

また安全な第三者として事件を見る者には、正義感という大義名分を許さず、下衆な高揚感を自覚することを求められる。

このような視線で作られた実録犯罪映画はどうなるか?まるで救いが無い。

しかし、事件には被害者が存在し、被害者のせいで犠牲になっている者が存在し、犠牲になっている者が普通に生きることの困難さや、暴力が肉体を破壊し人間の精神を狂わせる事実の前に、事件と直接関係無い観客は何に救われると思って実録犯罪映画なんて観るのか。解毒と楽しむ以上、楽しまれた側の者にどういう顔をするか、せめて後ろめたく疚しさを感じるのが人として誠実かもしれない。

 


徹底した悪役を演じたピエール瀧とリリー・フランキーの存在感は予想以上で、この二人をキャスティングし、暴力を暴力として描いた監督や制作側はエライのではないか。山田孝之はさすがにちょっと霞んでいたようにも感じるが、母親の面倒を妻に押し付ける自分のズルさを認めない、言っても本当のところではわからなそうな器のサイズは、最後の最後までまったく爽快にさせない本作にうまくハマっていたように思える。

 

好き嫌いはともかく一見の価値ありだけど、二度と観たくない。

ズシーンと来る一作。

 

 

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『告白(映画)』 復讐のファンタジー

とある中学校の終業日。1年B組の担任・森口悠子は、ある告白を始める。数ヵ月前、シングルマザーの森口が学校に連れてきていた一人娘の愛美がプールで死亡した事件は、警察が断定した事故などではなく、このクラスの生徒、犯人Aと犯人Bによる殺人だったと。そして、少年法に守られた彼らを警察に委ねるのではなく、自分の手で処罰すると宣言するのだった。その後、森口は学校を辞め、事情を知らない熱血教師のウェルテルこと寺田良輝が新担任としてクラスにやってくる。そんな中、以前と変らぬ様子の犯人Aはクラスでイジメの標的となり、一方の犯人Bはひきこもりとなってしまうのだが…。

 

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製作国: 日本
初公開年月: 2010年6月
監督: 中島哲也

出演: 松たか子(森口悠子)、木村佳乃(下村優子(直樹の母))、岡田将生(寺田良輝(ウェルテル))、西井幸人(渡辺修哉(犯人A))、藤原薫(下村直樹(犯人B))、橋本愛(北原美月)、芦田愛菜(森口愛美)、山口馬木也(桜宮正義)、新井浩文(修哉の父 )、黒田育世(修哉の母)、山田キヌヲ(修哉の継母) 

 

告白 【DVD完全版】 [DVD]
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ファンタジーだと思う。復讐の。

敵がマッチョな荒くれ集団ではなく、あどけない顔を持つ小柄で地味な優等生、復讐をする側が松たか子で中学の担任教師。

だもんで、社会問題や教育問題、倫理観などを持ち込んで身近な問題として観てしまいがちかもしれないけど、映画の中の犯人Aはあくまでも大人が作り上げたモンスター中学生。

学校に守られ、少年法で守られ、更生の余地がある年齢だと世間から守られ、守られていることを利用して犯罪を犯すことが利口だと思っている中学生。という偶像。

その中学生に幼い娘を殺された担任教師が、巧妙に立ち回って手加減なしの復讐を遂げる話。

 

最後の森口先生の告白が倫理的に問題ありな内容であることと、最後の最後のセリフ問題というのもあり、解釈もまちまちなようですが、ファンタジーであることを踏まえた私の見方なんかをつらつら、、、てか、くどくどと。

なので当然ネタバレ。

 

 

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爆弾は、森口先生によって修哉の母の元に届けられ、しっかりそれなりに爆発したと思う。

修哉の能力的に強力な爆弾は作れないだろうから、クライマックスで修哉が見た脳内イメージほどの威力は無いが、森口先生は修哉の母親を爆死させるつもりでいたはず。

母親が本当に爆死したのかセリフでも映像でも明確にしていないために様々な解釈が可能になるんだけど、修哉が母親を自分の手で死なせたと思い込むことが重要なのであって、実際に死んだかどうかはそれほど重要では無いから明確にしていなくてもいいのだと思う。

 

 

修哉は命に価値を見出していない。

自分の命も重要ではない。しかしぼくがいかに優秀であるかを世間は知らないといけない。世間がぼくの才能を知って驚嘆し、崇拝しないのはおかしい。そしてそんなぼくの優秀さを知れば、ぼくの体がすでに存在しなくても、ぼくは母の一番の誇りになり、最も愛する者として母の中に存在し続ける。

弱くてバカでつまらないヤツの命ってなんの意味があるの?どうでもいいじゃない。

むしろぼくのために使うべき道具でしかない。

 

こういう考え方のヤツを簡単に殺したところでねぇ。

 

置いたんですよ。

だって森口先生は本気だから。

 

修哉の母親に爆弾を届けた話が狂言だとしたら?

母親に危害が加えられていないんだからとうぜん絶望もしないし地獄も見ない。修哉はそもそも反省するようなタマじゃない。

だのにわざわざ狂言とか、森口先生がそんなヌルい嫌がらせをする必要はない。

 

修哉の母親に爆弾を届けた話が本当だとしたら?

修哉が作った爆弾が母親の元で大爆発すれば、修哉は最愛の母を自分のせいで失い、そのままタイーホでウマー。

大爆発まではしなくても、中学生が作ったショボイ爆弾で大量殺人未遂事件として新聞の一面を飾り、プライドはズタボロで、そのままタイーホでウマー。ついでに巻き添えで死ぬ人もいなくてメデタシメデタシ。

 

って感じ。

 

最初の教室での告白から、一向に改心しない修哉。

愛美を殺すつもりで結局殺せずに、実は犯人Bが殺した。この時点ではまだ殺人という最悪の行為は行っていない。

でもそれでは修哉は有名になれない。しかも見下している犯人Bにまでバカにされプライドが傷付き、もっと大きな陰惨な事件を成し遂げるための計画を模索する。

森口先生は美月とのファミレスでの対話で、少し心が動いたのだろう。修哉を理解しかばう少女の存在と、自分を捨てた母を追い求める修哉の傷を知り、意に反して心が揺れたのだ。それがファミレスを出てからの涙に繋がる。しかし「馬鹿馬鹿しい」と揺れる自分の良心も切り捨て、信念を固くする。

案の定、修哉は唯一の理解者である美月を殺しても、後悔や反省、哀れみの気持ちを持たない。自分を責めることは無い。

そして心にもないキレイ事を書きつづった作文が表彰され、最大の舞台を手に入れた修哉は有頂天で大喜び。

学校の生徒や先生を巻き込んだ大惨事を起こせる、自分のためだけの最高のステージが用意できたわけだ。

 

で、演台の下に隠した修哉お手製の爆弾のスイッチオン!

・・・が、爆発せず、森口先生から「爆弾は修哉の母親にちゃんと届けておいてあげたからね♪」と報告の電話を受け、動転して頭真っ白の修哉は体育館を走り回り、「黙れ、それ以上言うな!!」と叫びつつ携帯は切らずに鼻血タラーン。

そこに森口先生登場。

母親を自分の手で爆死させ(たと思って)、涙と鼻血で茫然自失のボロボロになって崩れ落ちてフニャフニャになっている元教え子の髪の毛を鷲掴みにして、「本当の地獄を。ここからあなたの更生の第一歩が始まるのです」と悲しみと憎しみのやるせない涙を堪えて説教したと思ったら清々しい笑顔で「なーんてね」と言い放つ。

 

森口先生は迷わずブレず後悔せず。

 

研究室に爆弾を置いたという話が狂言で、本当は修哉の更生を望んでいるとするならば、その程度の復讐で満足するならば、もっと早くに学校や警察に具体的に訴えたり、それこそ修哉の実母に相談すれば色々と道が開かれると普通に考えつくんじゃないですかね。

森口先生にそういう善意の気持ちが残っていたとしたら、修哉よりも美月を守ってあげるでしょ。

美月まで殺して、最後は自分が注目されるために学校の生徒全員を道連れにしようとしていた修哉を、修哉だけを救う義理は無いですよね。

修哉の精神の救済のためにどれだけの人を犠牲にすればいいんだっての。アホか。

それが、「なーんてね」ですよ。

 

という解釈です。

 

 

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犯人Aは不良じゃない。

得意なものは科学。小柄で小学生のような幼い容姿で、同じくらいの年の子たちから憧れの対象にはならない。そういう子。

俺も修哉みたいになりたいな~とか、修哉くんみたいな男の子がいたら素敵!と思わせないような造形。

そこはこの映画の良心のような気がする。

 

そして何より最大の見どころは木村佳乃ですよっ。

もう一人の犯人である犯人B、直くんの母親役の木村佳乃がいいっす。壊れた女を演じる木村佳乃はほんと素晴らしい。

直くんを殺そうとする直前、自分と直くんとあと不在の夫と長女の分と合計4個のカップを用意して、紅茶をどぼどぼ入れて溢れさせながら、「あっ」と思いだして日記の最後の一行を書きしたため、包丁を選んでスタスタと歩き出すところとか悶絶するほど好きです。直くんに刺されて死んだときの体勢も好き。

10年位前、主役でドラマに出まくってた頃はどこがいいのかまったくわからず、むしろ面白味が無くてあまり好きじゃなかったんですよね。声も苦手だなーとか思ってました。

でも楳図かずおの漫画を映画化した「おろち」(鶴田法男監督)で心を奪われ、また壊れた女の役をやってくれないかなーと期待していたのですが、やっぱりいいわ~。あまり続けると女優生命が心配なので、じっくり選んでときどき楽しませて欲しいものです。

 


ちなみに原作の小説版「告白」も悪趣味なエンターテイメント小説であって、真面目にいじめや少年法をテーマにしてるわけじゃないと思います。

あくまでも賞を獲るために書かれた第一章の「聖職者」であり、話題性や売れ行きを計算したうえでのその後の章ってことかと。

悪趣味っぷりを前面に出すよりも、社会問題に切り込んだ問題作みたいな風にした方が単純に本が売れるってだけでしょ。普段ミステリー小説を読まない人にも興味を持たれやすい、そういう感じかなと。

不快に感じる人もいるだろうけど、私は原作も映画も徹底していて爽快でした。

ラストの「なーんてね」のセリフの後、森口先生が刀を鞘に収める「カチン」という音が聞こえました。

 

映画は、原作の悪趣味さを踏まえたうえで登場人物達が立体的に作りこまれていて良かったです。

その他にも、夕焼けに広がる輪郭のはっきりとした雲、水しぶき、桜の花びら、シャボン玉の映像も美しいのにどこか陰鬱で、それはこの作品で描かれている純真と残酷を併せ持つ、記号としての「中学生」とも重なるような気がしました。

中島監督というと色やモノを過剰に詰め込んだ賑やかというか情報量多めな映像って印象ですが、あのゴテゴテした感じがいつもより抑えられていて、静かにイヤな事になっていく感じでいい感じ。

それがまたリアルな社会問題を描いた作品のように錯覚しそうなんですけどね。でもやっぱりあくまでもファンタジーですよ。

 

ぜいたくを言うと、映画のウェルテルはもっともっとうっとうしいと良かったかなぁ。

 

 

つーても正直にまっとうに告白するならば、音楽が好きなのですよ。それでひいきめになってるところも、正直否めない。

Radioheadは有名だし、そこまで意外な喜びは無いので別にいいのです。

なにってBorisですよ、Boris。かっこいいなぁも~

 

 

 

ついでに、AKB48がRiverだったのも私的にはポイント高し。

 

 

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